Breitkopf & Härtelの創立300周年にあたり、桐朋でも現社長Nick Pfefferkorn ニック・プフェッファーコルン氏による講演が行われました。

まず。。。

パワーポイントを使った実にキレのよい鮮やかなプレゼンテーションに、企業プレゼンかくあるべき!!と圧倒されました。

程良いテンポ、停滞ゼロ、軽く質問を投げかけて矛先チェンジ、音楽以上の流れの良さに♩♫♩♬♬、我が身を反省する⤵️

世界最古の音楽出版社であるBreitkopf & Härtelの300年の歴史と栄枯盛衰について話が進んでいきます。

300年前の創業時は、普通の出版業社としてスタート。

1736年、シェメリスとヨハン・セバスティアン・バッハ共作による『歌詞台本』Schemellis Gesangbuch BWV 439-507、J.S.Bach、の出版が最初の音楽出版で、以後は音楽出版に携わり今日に至っています。

バッハの作品に使われる作品番号BWVは、Breitkopf 社による出版整理番号だそうです。

バッハ以後ベートーヴェン、メンデルスゾーン、リスト、ショパン、ワーグナー、シベリウス他、名だたる作曲家との出版時のやり取りも披露されました。

ショパン作品の出版にあたっては、ドイツ版、つまりBreitkopf & Härtelからの出版は、印刷前の打ち込みのミスを校正しきれないまま出版に至っている経緯があり、間違いが後世まで残ったという定説があります。

これはもちろんBreitkopf & Härtelに限ったことではありません。

1754年、それまで手で書き写す手書譜→印刷に技術改革がなされる。

1767年、ライプツィヒでBreitkopfと Härtelがパートナーシップを結び、Breitkopf & Härtelとなる。

1798年、コンスタンツィア・モーツァルトKonstanzia Mozart(モーツァルトの未亡人)に初めてコンタクトを取り、モーツァルト全集出版の提案をする。

『全集』の出版は、出版社、音楽家双方にとって、後世に作品を残すためにもっとも有効な手段であり、強い願望があったと思われます。

1803年、ベートーヴェン登場。

1810年、ベートーヴェンと契約。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン作品のレビューなども出版

1830年、メンデルスゾーンと契約。1847年まで続く。メンデルスゾーンが行ったJ.S.Bachの『マタイ受難曲』の70年ぶりの再演をきっかけに、バッハが再び見直される。

1850年、J.S.Bach全集を出版

1853年、ブラームスと契約

その後、校訂版と原典版の違いをはっきりと区別する。

1920年代に多くの作曲家の『urtext原典版』の出版をする。

例えば、シューマンの楽譜については、クララ・シューマンが校訂をした部分が判別できるように、小さい記号を使っている。

ただし、このクララ・シューマン版については、現物の楽譜を持参下さったので見分したところ、記号の大きさの差異が微妙で、知っていても判別しにくいという意見が出ました。

1943年、英空軍によりライプツィヒは壊滅的爆撃を受け、Breitkopf & Härtel社の建物も破壊される。その後再建。戦争中は主な重要資料は疎開させていた。

以上が、300年の歴史の中での極めて主な出来事です。

社の歴史の説明の後、ニック社長は門外不出の自筆譜など、数多くの資料を惜しげなくピアノの上に並べて見せ下さいました。白手袋をはめて。。。

ワーグナーとの最初の出版交渉の手紙も、おもむろにカバンから取り出し手に掲げて見せて下さいます。

ヘンデル:オラトリオ『天地創造』売却の領収書

ベートーヴェン:作品群の出版契約書 Breitkopf & Härtel社へのプレゼント譜について、横に自筆で修正加筆してサインがいれてあるもの。

メンデルスゾーン:『真夏の夜の夢』自身によるピアノ編曲版楽譜

リスト:ベートーヴェンの歌曲によるトランスクリプション 1ページ目と2,3ページ目

シベリウス:Breitkopf & Härtel社の五線紙に書かれた即興曲の自筆譜 表紙にはシベリウスの特徴的なサインが入っている。

そして。。。

特筆すべきはバッハの3枚の本物の自筆譜です。

何度も本物であることを強調されていましたが、この神々しい紙、いえ、楽譜には🗝魔力でも宿っているのか、それを前にして、私たちは金縛りにあい、吐く息の蒸気もあててはならないと息を止め、ただただ網膜に残すべく全員で👁見つめました。

写真OKですよ、とNick社長は仰って下さったにも関わらず誰も手が出ませんでした。

楠原祥子