Prof.Kazimierz Gierżod has passed away on 1st April. It was with great sadness that I learned of his death.

He was a great pianist, a great professor, more than that he was a very fine person. I wish to express my deepest sympathy on his untimely death.

この深い悲しみをどのように表せるでしょうか。このブログは、私の記憶に深く留めるために書くことにします。

今朝方、起きがけにFBを見たところ、目に飛び込んで来たのが、在ポーランドの友人や、パレチニ教授が投稿したギエルジョード教授の訃報でした。

ギエルジョード先生との親交が深い、ショパン協会長野支部長の奥村さんに即刻コールすると、私も知ったばかりですけど。。。と悲しみを湛え、沈んだ声で様子を教えて下さいました。

それによれば。。。

ギエルジョード先生は4月1日の復活祭の食卓を囲んだ後、少し体調がよくないというので、奥様を伴い近所のお医者様に行ったところ、梗塞の恐れがあるという医師の判断で別の病院に移送。移送先の病院でそのまま逝去されたとのことです。享年83歳。

 

ギエルジョード先生は、私個人に対しても、また日本からのポーランド留学生に対して、門下であるなしに関わらず、分け隔てなく愛情を注いで下さった方です。

私の師であるバルバラ・ヘッセ・ブコフスカ先生とは、ワルシャワ音楽院の Margerity Trombini-Kazuro. マルゲリータ・トロンビーニ・カズロー教授門下の姉弟弟子でした。

お二人はとても仲が良かったことを覚えています。

共に糖尿病で、ギエルジョード先生はインシュリンを打って上手に対処しているのに、ブコフスカ先生は猛烈に治療を嫌がって、入院先の病院からさえも脱走して自宅に戻ってしまったのでした。

そんな姉弟子に、恐らくは呆れながらもアドバイスを与えるギエルジョード先生。まったく聞く耳を持たないブコフスカ先生、という図式が出来上がっていました。

それでも、お二人の間には特別な絆があったのでした。「カジュ!」「バーシャ!」と呼び合っていたことを懐かしく思い出します。

私の留学時代、まだポーランドは共産圏で異様に状態が悪く、食糧の配給券が配られ、戒厳令によって夜間外出禁止令が発令されていた時代でした。今では想像すら困難ですが、そのような時期があったのです。

そんな中、ギエルジョード先生は、私たち留学生一人一人が無事にやっているか常に気にかけて下さり、手に入りにくい太いソーセージを分けて下さったことも、食糧難の中、イースターにご自宅に招いて下さったこともありました。

ご自身の教区のお仲間と、カソリックの聖地Jasna Goraヤスナ・グラに、車で小旅行に連れていって下さったこともありました。

ポーランド音楽の啓蒙にも熱心で、モニュシュコ作曲オペラ「Halka」や、その他の国民楽派のオペラやコンサートには必ず行くようにと、勉強のきっかけも作って下さいました。

留学中だけでも、先生とどれほど多くの思い出があることでしょうか。

その後は、来日された先生のポロネーズ、ワルツ、マズルカ講座の通訳もずいぶん数多くさせて頂きました。それら講座で通訳しながら学んだことが、現在の私の演奏の基盤になっていると感じます。

1990年代から、各音楽大学、ヤマハやカワイなどの主催でギエルジョード先生の講座が開催されたことにより、ポロネーズやマズルカの演奏方法が日本の全国津々浦々まで浸透していきました。

ポーランドでは、私がショパンの生家コンサートやワルシャワでのコンサートで弾いた時には聴きに来て下さいました。

2013年7月のこと、同じショパン音楽祭に出演させて頂きました。

あの時の先生の演奏はすごかった。

第1音から、先生の音に私の耳は釘づき、心には衝撃が走りました。

誰もこのホールでこんな音を出せたことがない。

それは例えるなら、オペラハウスに響き渡るバスバリトンの声。ヴィブラートと倍音によって、決して減衰することのない響きというものを聴いたのです。

偶然私の隣で聴いていた男性のオペラ歌手も、その響きを聴くやいなや「Wspaniale! 」(すごいな!)とつぶやいていました。写真はその時のものです。

 

 

 

 

 

昨年6月のこと、東京ステーションホテルでギエルジョード先生を囲んでお食事会をしました。

前述の奥村さんが、ギエルジョード先生を個人的に長野に招聘して、一連のレクチャーコンサートやレッスンを行った後、幸せな機会を持ちました。

ちょっとお年を召されたけど、相変わらず温かく、張りのあるお声のままで、とても話が弾みました。

お別れする時、「ショーコ、ありがとう。楽しかったよ。ママにもよろしく、元気でね。」と言って、大きなふかふかの手で私の手を包んで下さったのでした。

その温かい感触。そして、抱きしめてさよならのキスをして頂いたのが、先生との最後のお別れになりました。

先生、どうか安らかにお眠り下さい。

先生への感謝の気持ちと思い出は、生涯忘れることはありません。

楠原祥子