昨晩ウィーンフィルをサントリーホールで聴きました!

指揮はフランツ・ウェルザー・メスト。

ソリストはラン・ラン。

と聞けば、イヤが上にも気分も高まるのですが、その指揮とソリストの組み合わせが、どうなるのかしら???と思わせます。

数年前のウィーンフィルニューイヤーコンサートで、ウェルザー・メストが指揮をしていました。生粋のウィーン人とのこと。

ウィーンのカフェで、ちょっとだけ気難しそうな顔をして座っていそうなインテリオジサマの風貌。ラン・ランとのコンビはどのようになるのか、想像が難しいような。。。

さて、19時。開演時間です。

皇太子様ご臨席。ものものしく登場されました。お席は2階右手ブロック。

皇太子様は、このような注目のコンサートには、自ら、ぜひ聴きたい!と申し出られるのでしょうか。ワンブロックをそのために買い占るのですから、庶民とはわけが違います。

モーツァルト「魔笛」序曲

モーツァルト ピアノ協奏曲24番 ハ短調 K.491

ブラームス 交響曲第2番 Op.73

まず「魔笛」序曲。テンポが慎重で、ん??『魔笛』ではないのかも、と一瞬思ってしまったほど、意外なテンポ設定でした。テーマがきっぱりとはいかず、フーガの追いかけられる迫った感じがないので、おっとり聴こえます。

そのテーマのつなぎに、絹地のように滑らかなフレーズがところどころに現れ、さすがにウィーンフィルならではと、その小さなフレーズの美しさにはハッとさせられます。

ウェルザーメストの指揮は、まったくといってよいほど叩きがなく、そのせいで、角のないフレージングのやわらかさを醸し出します。

ただ『魔笛』においては、縦割りの拍子感覚優先であっていいのでは。。とも思うのです。

そしていよいよラン・ランの登場!モーツァルトピアノ協奏曲です。

ハ短調のこの協奏曲は演奏回数が少なく、またとないチャンスです。それもラン・ランで。

一言で言えば、静けさの協奏曲でした。・・・あまりピアノが聴こえてきません。

中国語のイントネーションと相通ずるものを感じますが、短いフレーズの中に強弱の振幅が大きいので、今聴こえた!と思うと、すぐに弱音になってオケに沈んでしまう。

これがハ短調という特別な調を意識しての『嘆き』や『絶望』の表現なのかどうか。

ピアノの音が終始はっきり聴こえていれば、明確な表現として受け取れたはずですが、途切れ途切れの夢の間に音を聴くようで、はっきり言えば印象が薄い。

そして休憩をはさんで、ブラームス 交響曲第2番 Op.73

2番は1番と比べると、とても親密で、親しみやすく、全楽章が一体化されているような統一感があります。1番はまったく逆ですよね。

聴いているうち、ベートーヴェンの『田園』が私の意識の彼方をよぎりました。鳥の声こそ聴こえてくるわけではないが、共通するのは自然界との調和という雰囲気です。

そしてブラームスとは思えない、いえ、ブラームスと一括りにするのは間違いですが、えもいわれぬ肌理の細やかさが全楽章を通じてあり、これこそが、ウィーンフィルだけが奏でることができる伝統の音なのでしょう。

重厚さや低音のうなりが足元から迫るような響きはほぼありません。

4楽章の最後の最後のffにきて、あぁ、ウィーンフィルは、こんなにもホールに響き渡る、明るい大音量の音も出すことができるのだ、と驚きをもって聴いたのでした。

そして迎えたアンコール2曲。

ヨハン・シュトラウスⅡ:ワルツ『南国のバラ』作品388

エドアルド・シュトラウス:ポルカ・シュネール『テープは切られた』作品45

うん、これぞウィーンフィル真骨頂!そう言っては、フォルクスオパーではないのに失礼かもしれないですね。

『Gemütlichkeit』ゲミュートリヒカイト

ハプスブルグの統治哲学でもある『心地よさ』。ハプスブルグがウィーンに供した快楽としての音楽。

これこそだわ。それをしっかり感じました。

ワルツとポルカ、3拍子と4拍子の舞曲ペア。

ニューイヤーコンサートの一部を聴かせて頂いて、う~~ん、感動。客席もようやく沸きに沸いたのでした!

楠原祥子

 

ムーティの指揮「魔笛」序曲 ウィーンフィル

https://www.youtube.com/watch?v=s2Gedb05J5M